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小川町北部二丁目町会長  竹之内 純一 氏(たけのうち じゅんいち)令和2年6月就任

小川町北部二丁目町会は靖国通りとJR御茶ノ水駅の間にある町会です。

江戸時代は稲葉丹波守の江戸小川丁中屋敷で、明治維新後に町民が移り住みました。
現在は、江戸時代から続く老舗飲食店や、幅広い世代に人気のスポーツ用品店、楽器店などが建ち並びます。



今回お話を伺ったのは竹之内純一町会長。1910年創業のテーラー・原久洋服店のご主人です。区内外の学校制服も多く取り扱う会社なので、原久の制服を着て育ったという神田っ子も多いのではないでしょうか。
落ち着いた印象の竹之内町会長ですが、経歴やご趣味はとてもアクティブ。沢山の写真とともにインタビューにお答えいただきました。
(インタビュー日:令和3年10月18日 ※新型コロナウイルス感染症対策を万全に講じて実施しました。)


Q.会長のプロフィールを教えてください。

昭和28年5月生まれ。横綱・北の湖関と同じ学年です。祖父の代から神田で「原久」というテーラーを営んでいます。会社は現在、小川町二丁目にありますが、私が小さい頃は小川町一丁目南部町会の管轄内にありました。なので、小さい頃は淡路小学校に通っていました。


(昭和36年1月撮影。奥列左の男の子が竹之内会長です。)

昭和39年の東京オリンピックの時には、選手が着用するブレザーを作ったこともあるそうです。現在もうちにブレザーは保存されていますよ。当時私は小学校5年生でしたが、オリンピックがあったこと自体は記憶にあります。※1
※1大好き神田「オリンピックの記憶」(2019年)にて取材した、斉藤鉄太郎氏のインタビュー記事に掲載されている赤いブレザーは、原久提供のものだそうです。

↓「オリンピックの記憶」はこちらから↓
http://www.daisuki-kanda.com/olympic/?cno=2

Q.学生時代の思い出はありますか?

淡路小学校卒業後は、一橋中(現・神田一橋中学校)に入学しました。当時の一橋中は受験指導や校則がかなり厳しかったんです。当時、みんなで集まってサッカーチームを作ったのですが、程なくして活動中止になってしまったこともありました(笑)
中学卒業後は早稲田大学高等学院へ進学しました。ラグビー部に入って、ポジションはフッカーでした。※2

※2フッカーとは…背番号2をつけている選手で、スクラムの最前列中央で舵取りをしながらボールを後方に送る役割を担う。パワーと俊敏性が求められるポジション。
 (写真は早稲田大学高等学院のラグビー部時代。部活に熱中した毎日だったとか。)

―大学は早稲田大学に進学なさったんですか?
はい。そこで熱中したのがフロンティアボート部です。ゴムボートと手作りのオールで、日本中の川を下りました。
普通、川下りは夏にやるものなんです。冬の石狩川を下ったときは、前代未聞ということで、雑誌やテレビも取材に来ました。
当時の仲間とは今も交流があります。新型コロナの流行前はちょくちょく会っていました。

〜当時のエピソード〜『週刊プレイボーイ昭和49年3月26日号』より〜〜〜〜〜〜〜
「食料 朝は毎日変わらずジフィーズ(乾燥食料)にコンビーフをまぜたもの。それにインスタントスープか紅茶。夜はカレー シチュー ブタ汁の3種類でローテーションを組み それにアルファ米。他にチーズとお茶。他にいつ食べてもいいように、ポケットにベビーチーズを数個入れておいた。これらは冬山のベテランの意見を参考にした。」
「氷結している所は氷の上に乗ってボートを引張ったが時々氷を踏み抜いて全員首まで落ちこんでズブぬれ。毎年自殺者があって幽霊の話もよくあり 多分足を水中から引張られたのだろうということになり思わず顔を見合わせた。」
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(『週刊プレイボーイ昭和49年3月26日号』にて特集されたもの。)


(右下が当時大学2年生の竹之内町会長)










Q.テーラーのお仕事を継いだのはいつですか?

卒業後は繊維関係の会社に勤めました。3年ほど働いてから退社して、原久に入りました。入社して11年後に父が亡くなり、社長になりました。僕はたしか36歳でしたね。

―当時から小川町にはテーラーが沢山あったのですか?
テーラーも大勢いました。父の代に東京のテーラーが集まって結成された「東京テーラース倶楽部」なんかには、27のテーラーが加盟していました。
でも、どちらかと言うと既製服屋さんが多かったような気がします。今、このあたりにスポーツ用品店が多いっていうのもそれもあるのかもしれないですね。洋服の小売りをしていたスペースを使ってスポーツ用品を売っても違和感ありませんから。

―原久では、学校の制服も多く取り扱っていらっしゃいますよね。
区内の学校ですと、区立お茶の水小学校、区立神田一橋中学校、区立麴町中学校などの制服は弊社で取り扱っております。この近くだと、私立の錦城学園高校もですね。
余談ですが、紳士服や学生服の他に学生応援団の制服も取り扱っているんです。先日、母校の大学の応援団長と話したら、偶然にも神田出身の方でした。

Q.会長のご趣味について教えてください。

シーダイビングです。
この写真はサイパン島のグロットという地点です。平成25年の6月に、ダイビング100回目の記念で撮影しました。


(中央で手を振る竹之内町会長。アクティブです!)

―ダイビングを始められたきっかけは?
2009年くらいから始めたのかな。それまで付き合いでゴルフとかやってはいたんですけど、あんまり上手くないし、やめちゃおうかと思って。だから代わりに年をとってもできるような生涯スポーツが欲しいなと思ってね。それで探して見つけたんです。

―印象的だった海はありますか?
いちばんよく行くのは沖縄ですね。阿嘉島や久米島など、離島によく出かけています。ここ2年くらい行けないのが寂しいですね。

Q.代わって、町会のお話を伺います。

町会長になる前は、長年会計を務めていました。はっきりした年数は覚えていませんが、10年は超えていると思います(笑)

―会計は町会の中でも専門的な役職ですから、頻繁に代わるわけにいかないんですよね。
どこの町会もそうですよね。それで、令和2年7月に横田前町会長から会長職を引き継いだのですが、実は皆さんの前で直接お話ししたことはまだ1回も無いんです。(令和3年10月現在)コロナ禍の影響で、書面で総会をやって書面で町会長になりましたから。

―町会にはどのくらいの会員がいるのですか?
住民だと30ちょっとの所帯ですが、企業会員を含めると100ほどの会員がいらっしゃいます。
日本経済広告社さん、木徳神糧さんは当町会に所在しています。他にも、チームラボさんの社屋も当町会内にあります。新年会や神田祭に来てくれたこともありますよ。

Q.町会活動で楽しかったことや印象的だったことはありますか?

沢山あります。当町会でも、小川町北部4町会でも、結構行事やりますから。皆さんで旅行に行ったりね。新型コロナの流行前は横須賀で軍艦巡り。アサヒビールの工場見学もありました。
小川町北部4町会では合同で、納涼会やお神輿をやっています。
神田祭ももちろん、小さい頃から参加していました。これはもう相当前の写真です。今はこんな元気ありません(笑)


(写真中央。神輿の先頭の棒を担ぐ竹之内会長。)

小川町北部二丁目町会は、町会内、周辺町会との仲が良いのが魅力ですね。

―今まで町会活動をしたことないが方(若い方、子育て世帯など)が参加するとしたら、どのような活動なら入りやすいですか?

どこからでも歓迎です。新年会や総会に来ていただければ、町会の雰囲気を大体分かっていただけると思います。若い住民の方と気軽にお付き合いできるように、町会自体も柔軟に変わらなくてはいけないと考えています。ぜひ、町会にご入会ください。


(右が竹之内町会長。左がインタビュアーの小林町会長(小川町北三町会)。
小川町北部はチームワークが魅力です!)

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