千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

内神田美土代町会長  熊谷 晃一 氏(くまがい こういち)平成17年6月〜平成25年6月

じりじりと夏の日差しが照りつける9月13日(木)午後2時過ぎ
久々の町会長インタビューを行いました。
今回のゲストは、熊谷 晃一 会長(内神田美土代町会長)です。
竹橋にある会長のお店『カレーの店 タカサゴ』に会長をお訪ねしました。
「高砂屋」と言えば、元禄時代には既に開業していた老舗中の老舗
まずは、「一膳飯屋の高砂屋」の歴史からお聞きしていきます。
今回のインタビュアーは「大好き神田」作業部会座長の斎藤さん(内神田鎌倉町会)です。

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「大好き神田」の町会ガイドから内神田美土代町会を開いていくと、「豊島屋」さん(造り酒屋)と並んで、「高砂屋」さんの写真が大きく出てきますが、かなりの老舗ですね。

 慶安事件が発生した1650年に開業ですから、350年以上前から営業しています。この写真は、私の伯父(母の兄)が昭和7年にミルクホール(写真中央)を開業した時のものです。隣が「高砂屋」です。

 総ヒノキ造りの食堂で関東大震災の揺れにはびくともしなかったのですが、その時の火災で類焼してしまいました。
 店の名は、老夫婦がやっていたといことで、高砂の夫婦にちなんで「高砂屋」とつけられました。戦後は、店の前に神田橋女子職業安定所ができて、その外食券食堂になっていました。食料難の時代で、繁盛していました。

 このとき、私の父は、岐阜から出てきて親戚の紹介で職安の食堂に勤めていましたが、高砂屋に請われて養子になりました。高砂屋には実子の男の子がいたのですが、子どもには継がせず、養子をとりました。娘に主人が見込んだ婿をとって継がせることはよくあったそうです。家業を絶やさないための知恵かも知れません。
(写真は、震災直後のバラック造りの高砂屋)       

町会の自慢は何でしょうか。現在気になることはありますか。

 自慢は、町会内が和気あいあいとして、役員と一般の町会員の方との隔たりがなくフランクに運営されていることですね。現在気になることは、特にありませんが、震災等に備えて町会の防災倉庫の新たな設置・充実を考えています。
(一ツ橋パレスサイドビルのお店で)

町会長になって良かったことと、内神田美土代町会のアピールをお願いします

 町会長になって良かったことは、町の話でも何でも、他の町会長と対等に話ができるようになったことですね。米山会長(内神田鎌倉町会長)には、いまでも時々『もっと堂々として話しなさい。』と言われますが。(笑)

 

 町会のアピールは、名前の由来が昔、この場所は伊勢神宮へ奉納する米を作る「みたしろ」であったということ。そして、当町会の大半が終戦後進駐軍に長期間接収された為、復興が他町会から大きく遅れをとってしまったにも拘わらず、返還後は町の復興と町会の設立・運営について、歴代会長を始め町会員が一丸となって不屈の精神で当たってきたことですね。
 今後もこうした人と人との縁を大切にしながら町会活動を行っていきたいですね。

(写真上は、昭和50年頃の内神田の店。下が、現在の高砂ビル)

地区のコミュニティ活性化に大切だと思われることは何でしょう。

 地区の中での住民と企業のコミュニティというのは難しいです。現在、区でもマンション住民の町会加入について条例化を検討しているそうですが、生まれたときから、ここに住んでいる人と途中から入ってきた人とでは価値観が違います。お互いに人への思いやりを大切にしていかないとうまくいかないでしょう。価値観が違うもの同士が共生していくのですから。美土代町には現在マンションはないので、企業と住民のコミュニティが課題です。

 神田に住んでいる若い人たちには、神田だけではなく広く世間を見ていろいろ勉強して欲しいですね。どうも神田に住んでいる人は、井の中の蛙になりがちな気がします。

会長さんは神龍小学校の先輩ですが、小学生当時のお話聞かせください。

 姉と私の二人きょうだいです。呼び名は「コウちゃん」か「クマさん」ですね。(右の写真は、幼稚園の頃 自宅の前で)水泳が好きで、神龍小学校のプール、神宮のプールで泳ぎました。
 1956年の第16回オリンピック、メルボルン大会の平泳ぎで優勝した古川勝とクロールの橋爪四郎が神龍小学校に来て、水泳の模範演技をしたことがあります。古川は、25メートルのプールを得意の潜水泳法で2往復しました。びっくりしましたね。200メートルの平泳ぎでは、50メートル近くを潜水泳法で泳ぐんですね。潜水のほうが水の抵抗が少なくて早い。古川は潜水泳法で数々の世界記録を出し、この泳法は日本のお家芸でしたが、メルボルン大会直後から禁止になってしまいました。日本のお家芸はみな禁止されました。


 小学校には、海軍出身の先生や終戦後の教員不足で代用教員から教師になった先生も多く、私の担任もその一人でしたが、教育熱心で、先生の希望で6年間同じクラスで過ごしました。ガキ大将でしたが、正義感が強く生徒会長もやりました。(写真は、大学生の時)

趣味は何でしょう。

 趣味は、卓球、水泳、カラオケ・・・あとは何もありません。(笑)
 フランス料理で修行したオードブル関係には、ちょっとうるさいかな。日本の料理研究家が初めての五つ星レストランのガイドブックを作ったときに、僕のスモークサーモンが載りました。料理の修業は、最初は銀座のコックドール、次はこのビルの9階の「アラスカ」です。同じビル内での同一業種の営業ができなかったため、「タカサゴ」はカレーの専門店にしましたが、フランス料理が専門なので、タカサゴのカレーは欧風カレーです。
 店では調理場に立ちますが、家では台所には立ちません。家庭には家庭の味がありますからね。カレーもそうです。家庭のカレーも美味しいし、蕎麦屋のカレー南蛮も美味しい。料理は素材等のほかに雰囲気によっても味が変わります。
 自家製のフォアグラを作っていた頃のことですが、あるとき、自分が作ったフォアグラを客としてホールで食べることになったのですが、驚いたことに調理場で味見をしていたときと全く違う美味しさでした。
 店のサービスや雰囲気が味を変えるのですね。それと、ワインが曲者。食前酒、白ワイン、赤ワインと少しずつお酒を飲みながらというのが良いのでしょう。このインタビューも夜にすればもっと滑らかになりますよ。(笑) 
 町会の役員会でも二次会になると皆本音が出てくる。大切だなあ。僕の伯父は下戸なので酒席で踊って座を盛り上げる人でした。斎藤さんも飲めないなら、僕が歌うので踊ったほうがいいですよ。

(写真は5月の神田祭で、婦人部長の奥様と) 



インタビューのほうもだんだん佳境に入り、いつまでも料理のお話を聞きたかったのですが、ここで「大好き神田」についてお聞きしてみました。

 パソコンはやらないので、見ていませんが、町会長インタビューは、ホームページ担当の役員さんにプリントしてもらって見ています。町の古い写真や思い出話が載ると面白いですね。神田の古い言い伝えや家宝なんかも紹介されるといいですね。(危ないかな。)


♪ インタビューを終えて
 熊谷会長さんには、お忙しいところ『大好き神田』の為にお時間を割いていただきありがとうございました。町と家業とお料理についての造詣の深いお話を伺うことができて大変為になりました。
 熊谷会長さんの今後のご活躍と内神田美土代町会さんの益々のご発展をお祈りいたします。

斎藤

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