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小川町北三町会長  小林 秀行 氏(こばやし ひでゆき)令和元年7月就任

今回は小川町北三町会・小林秀行町会長をご紹介します。

小川町北三町会は、お茶の水仲通りと靖国通りに囲まれた神田公園地区の北西に位置する町会です。
地区中央には小川広場(旧小川小学校跡地)があります。

長年町会のホームページ担当として「大好き神田」を盛り上げてくださってきた小林町会長。子ども時代の神田のお話から町会の新しいビジョンまで、様々なお話を伺いました。努力家で優しいお人柄が伝わるインタビューになりました。
(インタビュー実施日:令和2年7月20日)
※新型コロナウイルス対策を実施しながらインタビューにご協力いただきました。




会長の子ども時代のお話を教えてください

 昭和34年の1月生まれで、世代的に話をしますと花の中3トリオや巨人の原監督と同じ学年です。昭和40年に小川小学校に入学し46年に卒業しました。その頃は子どももいっぱいいて、小川小学校も27〜28人クラスが2クラスありました。当時は「大好き神田」の歴史写真館にある都電も走っていました。高度経済成長の時代ですからね、どこの家も結構商売やってて忙しくて。うちも旅館をやっていたので、放課後はランドセルを置いては錦町の駄菓子屋や空き地で遊んでいました。まだビル化が進んでいなかったので方々に空き地もあって、よくキャッチボールやゴロベース(※)なんかやっていました。
(写真は幼少期の小林会長)

※ゴロベースとは…ゴムボールをピッチャーがアンダースローで転がし、バッターが素手で打つゲーム。

学生時代の思い出などはありますか?

 高校の時に柔道を始めました。それで格闘技系にハマったときでもあって。ボクシングも好きでしたよ。昔の大場政夫とか具志堅用高とか。ボクシングマガジンなんかはよく読んでいました。
 部活時代には学校が終わってから御茶ノ水の池田坂を20往復くらいダッシュしたりして。体力ありましたね。やっぱりちょっと苦しい方が「乗り越えなきゃ」ってやる気になる。この先に何かあるんだっていう気持ちでちょっとストイックにやっていました(笑)

――大学時代は何を専攻していたのですか?
 慶應義塾大の商学部で会計学を専攻していました。パーマにしましてね、ちょうど具志堅用高が活躍していたので(笑)髭を生やすのも流行っていた時代でした。私は付属高校から進学したのですが、当時は塾内進学者の2人に1人は留年しちゃっていて、厳しい教授もいたので、自分なりに一生懸命単位だけは落とさないようにやっていました。

(写真は大学時代の小林会長)

卒業後は何をなさっていたんですか?

 昭和56年に大成建設に就職して、最初は本社にいました。新宿センタービルの本社の会計室です。大学で会計学を専攻していたので。当時はパソコンが入るか入らないかギリギリの時代でした。FAXがちょうど導入されたときだったのかな。入社早々デモがありました。今思えばボタンを押せばいいだけの話なんだけど(笑)
 残業も多かったです。17時過ぎからぶ厚い書類を渡されて「これ明日会議で使うから集計しておいて」なんて言われて。なるべく「はい!」ってかんじでちょっと体育会系にやっていました。でもあの時代っていうのは、我慢していれば何か将来的に戻ってくるだろうっていう確信もある時代だったので頑張れたんです。なので、仕事はとにかく「できません」って言わないようにしていました。上司には「期限は絶対に守れよ。絶対ひとりで仕事をしてるわけじゃないんだ。他の部署があってそこの仕事もある。自分が遅れたらみんなが迷惑するんだからそれだけは守るように。」ってよく言われていました。会社の同期も仲良かったんですけど、負けたくない気持ちもありましたね。嬉しい話で、当時の同期は名簿を作るって言っていまだに呼んでくれたりもします。4〜5年前に飲んだ時には20人くらい来ました。当時と今とでは会社の体力も全然違うし、働き方も違いますよね。今は転職も当たり前の時代ですから。

神田に戻っていらっしゃったきっかけは?

 昭和58年の4月から2年ほど、仕事で新潟にいました。一生懸命働いていたのですが、その頃父が糖尿病を患っていまして。その時は実家は旅館をやめて料理屋をやってたんです。働いていた会社には不満もなかったですが、親孝行だと思って昭和59年の暮れ頃に退職して家業を継ぐことを決意しました。ちょうどその頃に結婚しまして、妻が女将で私は店長で、お店をやってました。

(写真は割烹「昇龍」時代の写真。奥様と従業員の皆様と)

――その頃から町会活動を?
 前町会長の小林さんがその時は青年部をやられていたので、たまに連合の旅行やなにかで声をかけてくれて。それで少しずつ町会の人の顔を覚えてきたかな、というくらいでした。特に役職は無くて。確かに朝は築地に行ったりお店にもフルに出ていたりと、ちょっと忙しかったので。その辺を小林前町会長にも気を遣っていただいていました。

――お仕事と両立しながら町会活動をなさっていたんですね。
 そうですね。それで平成12年8月にお店をやめて、ある程度時間もできたということで本格的に「お祭の手伝い」だとか「交通関係」だとか「夜警」をやるようになりました。平成8年には法人会の支部長も引き継ぎまして、本格的に地域の活動に参加できるようになったのはお店をやめてからですね。

プライベートの方では何か熱中していたことはありますか?

 税理士試験の勉強(※)をやっています。お店をやめた後に、やっぱり餅は餅屋のことをやりたいなと思って。大学で会計のゼミをやってたので。どちらかというと私は営業より机に向かって数字をいじっている方が好きなんです。そんなもんでちょっとやってみようかなってやり始めたわけですけど、結構ハマってしまって。時間もかかってますけど、もう10年以上はやってます。これは趣味といっちゃあれだけど、もうここまで来たらちょっと逃げたくないなっていうのもあるんでね。年取ってから何かあったら資格としてでも使えればいいな、なんて。今年も試験が近いので、今日もちょっと勉強してきました。毎日の積み重ねなので、自己啓発のつもりでこれは続けようと思ってます。

――それだけお勉強を続けられるのはどうしてですか?
 勉強好きなんだろって言われるけど、決してそうじゃないんです(笑)やっぱり、ここまで結果が出てきてるから続けられます。マラソンでもほら、東京マラソン走ってる人に「あなたマラソン好きですね」なんて言う人はいないでしょ。マラソン10キロやった人は次フルマラソンやりたくなるって聞きますけど、それと同じです。やっぱり達成感があるんですよね。達成感なんです、何でも。だからこれは趣味なんです(笑)


※小林町会長が税理士資格取得を目指し始めた頃のお話は神田法人会ホームページ「ご近所さん訪問」からもご覧いただけます!(下記リンク)
http://www.kanda-hojinkai.com/information/kinjyo/

町会の特色を教えてください。

 小川小学校跡地に小川広場があり、神田小川町雪だるまフェアや神田カレーグランプリなど、様々なイベントに活用していただいています。おかげさまで、小川町の北部4町会(小川町北部一丁目・小川町北部二丁目・小川町北三・小川町三丁目西)でタイアップして納涼会なんかもやらせていただいています。こういう広場は後から作るということもなかなかできないと思うのでね。青空は買えないですから。お祭のときなんかの休憩所でも重宝していますし。防災の面だとかイベントの面で、いい意味で注視しています。

(写真は令和元年度の小川町北部四ヶ町納涼会の写真。中央が小林会長)

――お祭と言えば、小川町連合の立派な御神輿は昔からあったのですか?
 小川町の北部4町会で小川町連合っていうのがありますが、前は御神輿が無かったんです。昭和60年くらいまでは六本木かどこかのを借りてやってたんです。それが小川町三丁目西町会の日比さん、今の青年部長のお父さんが青年部長だった頃に神輿をつくろうじゃないかってことで「神輿をつくる会」っていうのをつくって小川町でみんなで寄付をして、昭和61年にできたんです。
 今は小川町の北部4町会で当番を決めて、2年にいっぺんずつまわしていこうということでやっています。で、御神輿は小川町二丁目の幸徳稲荷というところに置いています。あとは小川町連合以外にも大きな連合で、神田中央連合というのがあります。錦連合、神田猿楽町、神田神保町一丁目、それから私たち小川町連合の4つで神田中央連合という連合をつくって宮入りするんです。


――お祭に関連して、町会のご自慢などはありますか?
 小川町連合は4町会、中央連合も4連合なので、うちの町会は8年に1回、当番が必ず一緒に来るんです。平成13年くらいからずっと、8年に1度は小川町連合の当番もやりながら中央連合の当番もやってきたんです。だから結構大変だったんですよ。

――町会の方々の結束あっての大仕事ですね。
 町会の仕事には当番制のものや業務分担がありますが、もう誰が担当だとかそういうことは言っていられない時代です。町会の垣根を越えて、できることはお互いに手伝ってやっていく。担当者がひとりで全部やれっていうんじゃなくて、全員で協力してやっていかないとやっぱり成り立たないですね。だからその辺はうまく皆でコミュニケーションとりながらフォローしあってやっていくようにしないと。

町会や地域の課題などはありますか?

 どこの町会長も皆さん仰いますが、マンション居住者との関係がありますね。やっぱり古くから住んでる方は町会に来てくださるんだけどね。でも最近はマンションの方もぽつぽつとはいらっしゃってくれます。30代40代のご夫婦が来たり。今年の新年会は如水会館でやったのですが、初めてお顔を見る方が2〜3組ほど来てくれました。ああいう方たちにもどんどん参加していただきたいですね。例えば交通安全週間の1日だけとか、30分だけとか。仕事や子育てともうまくやれるような形で。
 で、そういう人たちのためのレクリエーションなんかも今年やろうかと思ってたんですけど、新型コロナの影響でなかなかできなくなってしまいました。子どもが楽しんでお土産がつくような、日帰りバス旅行なんかもいいんじゃないかと思ってたんですけど。これからどうなるか、役員会で話したいなと思ってます。
 あとは会社の関係ですね。法人会員の方。うちの町会にもいらっしゃいます。地域のお付き合いが個人的に好きだって方は来ますけど、そうでない方にはちょっと壁ができてしまっているかなというのは感じます。今は新型コロナの影響で会社が休みやテレワークになってしまったところもあって、なかなか町会に出ていただくのが難しいっていう問題もありますね。

――法人と言えば、会長は神田法人会の活動もなさっていますよね。
 将来的には、法人会と町会がうまくコラボして何かできないかなっていうのは考えてます。町会も入って法人会も入っていただければ、会社の方も町会に目を向けていただけると思うし。神田は地元への愛着が強い方が多い一方、会社員はよそ者という意識がある人もいる。会社が間に入って、そういった人たちとも少し和らげていけるようにしたいです。

神田の若い人たちメッセージをお願いします

 これからSNSも発達するし、新しい流れを逆にお願いしたいです。「大好き神田」にも「こうしたらいい」って色々なことを言っていただきたいと思いますし、我々もそれに対してちゃんと受け入れてあげなきゃいけない。

小林会長といえば、この「大好き神田」にも長年携わっていらっしゃいます。これからの「大好き神田」に期待することは?

 いろいろな方に情報を発信していただいて、それに対して我々が応えられるような体制をつくらなくちゃいけないと思っています。私もちゃんとアンテナを広げてなくちゃいけないし。とにかく今30代40代のお子さん連れの若いご家族、そういう方に見ていただけるようなホームページになるよう力を入れていきたいと思います。

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