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小川町北部二丁目町会長  横田 達之 氏(よこた たつゆき)平成22年5月就任

爽やかな風薫る平成23年5月6日(金)午後2時、
第25回町会長いんたびゅーのため
小川町北部二丁目町会会長の
横田 達之 氏をお訪ねしました。
この日の会場は、小川町二丁目の「神田和泉屋」さんの4階「酒さろん」、
ここは横田会長が講師を務めるお酒の学校の教室です。
お話の中でも日本酒の魅力が力強く、
インタビュアーの斎藤さんに(内神田鎌倉町会)
語られていきます。
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昨年の5月に町会長さんになられての感想をお聞きしました。

横田会長: 町会の役員として、長く交通部長をやらせていただき、その後副会長になりましたが、(家業の)日本酒のことばかりで、実際には町会のことは全くわからなかったのです。
前町会長の小端さんが77歳で、副会長さんたちが皆さん60歳台で、私が70歳でした。そろそろ生まれ育った町会に恩返しをしてみたらと家族にも言われて、ちょうど間の年齢で、“二期(一期は2年)は、私の仕事かもしれない”と、考えました。
 しかし、連綿とつながってきた町会の話なので、一つひとつが今までどうしてきたか、皆さんに教えてもらわないと何もわからない。とにかく何でもかんでも相談するので教えてくださいということでお引き受けしました。
 

 二期の間に私ができることは何だろうと思っていたところ、最初に連合町会の理事会で「大好き神田」の話が出たので、早速、神田和泉屋のホームページをベースに町会のホームページを作りました。今回の震災を経て、いずれ東京を直撃するような地震が来るだろうなと防災に関する項目も作りました。
 数少ない私にできそうなことに「ホームページ」の他に「町会規約」の改訂がありました。当町会の規約は昭和33年の制定から特に改訂をしないで今日に至っていました。大学生の時代に法律を学んでいたので、ふつうの人より多少法律文章になじんでいましたので、最近のマンション問題なども念頭において、実情に合う改正案を役員さん方と相談しながら創案し、総会での承認を目指しています。


斎藤さん: 町会のホームページの防災のページにある「すべては安心安全笑顔のために」というキャッチフレーズがいいですね。

横田会長: キャッチフレーズはいつも考えます。神田和泉屋の中でも、これからはこういう風にするぞという時は、必ずコピーを考える。先ほど下の店でも見てもらいましたが、『夏こそお燗』これはここ10年やっています。
 夏はお燗酒が美味しいんです。夏場はうちではお燗酒がよく売れるんですよ。お酒の学校でも、実際にお燗をして、冷とお燗を飲み比べます。

(右の写真は、中央大学法学部法律学科在籍中のとき)

横田会長: 神田和泉屋は今は地酒の専門店ですが、もともと地酒は『道楽息子』でした。神田和泉屋は私が二代目ですが、それまでは、大手さんのビールやサントリーオールドを大量に売るとか、そういう商売をしていました。昔は大量に売るということが立派なことでした。“地酒が売れる”と言っても、一日に何本でもないでしょう、と言われていました。それが、いつのまにか、この『道楽息子』が我々を食べさせてくれるようになっていました。その時に、売り上げを伸ばすことをやめて、「あれもやめよう、これもやめよう。」と、売り上げになっているものをどんどんやめていきました。
 

横田会長: ビール券は、倉庫は要らない、引き出しに入るし、すごく便利で売り上げも良かったが、ある時全部ゼロにしたら、計理士さんに、「いくらなんでもむやみにやめないで。」と言われました。
 ビール券を買いに来る人は、それだけを買いに来ます。私がお客さんと、「あのお酒を○○と合わせたり・・・お燗って41度でこういう感じになるんですよ・・・。」などと日本酒の話をしていると世間話をしているとしか見えないんですね。「ビール券ください。」と、間に入ってくる。6枚数えてハイって渡しておしまいかと思うと、「のし紙書いてください。」って始まって、話が途切れてしまう。やっぱりこれは、神田和泉屋が目指す世界からすると、ビール券を売っていることはマイナスだ、ビール券はもうやめようと思いました。
 そんなことを繰り返しながら、5年後は、10年後は、こういう店になっていたい、こういうものは売っていないようにしたいんだよね、と自分のなりたい姿を考えて店をどんどん小さくしていきました。
 日本酒の売り上げも今は昔に比べると半分くらいになっていますが、“私が選んだお酒”のファンがいてくださるので、店は安泰です。毎年特別の利益が上がることもないけれど、悪い年もなくブームも関係ありません。現在のファンの方が、そのうち歳をとってきますので、お酒の学校で新しいお客を補充しています。(笑)


日本酒のとっておきの話が始まりました。

横田会長: 斎藤さんは自分でコーヒーの豆を焙煎する一種の作り手ですね。私は売るだけだから、せめてお客さんに合うものをいつもわかっていて売りたい。そのためには、お客さんから上がってきた声を酒蔵さんのほうに伝えてあげたいのです。

 今は、日本酒の級別がなくなり、大吟醸、純米、本醸造だとか出ていますが、お客さんは混乱してしまう。だから、酒蔵さんには「うちの燗酒はこれ」「うちの蔵で一番コクのある酒はこれです。」と、あまりいろいろなものを作らないようにと伝えています。神田和泉屋では、「これは熱燗がいいですよ。45度を超えてもしっかりしているお酒です。」、「これは41〜42度で飲むと上品な甘みが出るんですよ。」とお客さんにわかりやすい世界にしています。そうでないと、選ぶのが面倒になります。もう純米とか本醸造とかいう名前は捨てて、買い物をするときから楽しい売り場にしなくてはだめ。
 社員たちにも、うちは日用品の販売店ではなく、嗜好品を売っているレジャー産業の一環だから、神田和泉屋に一歩足を踏み入れたら“楽しい”と思わせるような店でなければやっている意味がないと言っています。だから一緒に遊びながらやっているんですよ。

斎藤さん: ためになる話ですね。大きくするより抑えているのですから。

横田会長: 必要以上に売り上げは要らないですよ。

斎藤さん: 神田の商売はそうですね。

 

横田会長: 地酒はもともと地元の人のためのもの、その土地の人がその土地の食べ物と一緒に長い年月をかけて育ててきたものを、何の事はない東京の神田から偉そうなことを言って持ってきてしまう。誰かが泣いているかもしれない。うちで取引できる量ってあるでしょう。迷惑なほど神田に持ってきちゃいけない。
 地酒は当初、泥臭い洗練されていないお酒というイメージがありました。でもその中にも味わいのあるものもあるよというのが私が歩き回った時代でした。

 斎藤さんのところを見ていると、やはりお客の舌をつかむような商売ができているかどうかが決め手ですね。いつも商品を気にしてあげて可愛がっていることが大切。瓶に詰まった酒が一か月経つと味が違う、一か月毎に波があります。

 皆さんが一番お酒を買いに来るお正月前、12月20日頃からすべてのお酒の調子が落ちます。正月は最悪、立ち直るのが節分、節分に持ち直して梅雨から夏にかけてまた鍋底になり、9月9日で立ち直ってそれ以降はどのお酒も美味しい。
 面白いことに、冬の立ち上がりが節分の節句です。その他に五大節句ってあるでしょう。1月元旦、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日、ぴったりと酒の調子が合います。
 9月9日から12月20日までは大丈夫、安心して商売ができます。
 神経を使うのが今の5月ころ、前年酒と新酒がブレンドされ始める【ブチ】の時季です。当然微妙に味が変わるのです。苦情がこないかと心配で、胃薬が手放せません。ちょっと良くない12月末から節分のころまでの冬の時季、それを救ってくれるのが生酒です。冬のその時季になると、生酒が出てきます。特に2月は生酒が次々に出てくるので忙しい。それが、一万円の大吟醸より、二千円ちょっとくらいの生酒のほうがはるかに美味い。

初呑切り酒の話

横田会長: 夏になるとお燗もありますが、「初呑切り酒」というのがあります。貯蔵中のタンクのコックを初めて切る、呑み口を切って品質のチェックをする「初呑切り行事」が夏の時季にどの酒蔵さんでも行われます。しかし、タンクを抜いた分、夏の湿った空気が入りますので、雑菌の汚染の恐れがあり、大量には抜けません。商品にはなりにくいので、知られていません。私は20年くらい前から数軒の酒蔵さんに毎年立会を求められています。
 ふつう2月8月は商売がヒマと言いますが、私の場合はこの「にっぱち」が忙しい。地酒屋は冬だけでなく夏も地方出張で忙しいのです。これだけは神田和泉屋でも私の替わりはいません。初呑切り行事の折にタンクを買わせて頂いて、この時点でも少量の出荷をお願いしています。当然本数が限られてくるし、各タンクから36本とか単位がすごく細かくなります。
 醸造過程で、3月くらいに火入れをしますが、焼きムラといって、酒が暴れます。酒が荒くなって美味しくない。初呑切りの時はまだ治まっていません。貯蔵中はすべて原酒で置くのでアルコール度が高いことと、荒さ、そして酸がまだほどけていないのが、けだるい時季にすごく合うんです。
 日本酒はダメな時季にはこうした救世主がいるんです。

 残念なことに、デパートで“人が一番いない売り場”がお酒の売り場なんです。春になると桜の造花、秋になると紅葉の飾りつけをして季節感を出す店がありますが、魚屋や八百屋はそんな季節の飾りつけなんて必要ない、お客さんが「そろそろ寒ぶりが入ったかい。」「カツオは入ったか。」と言ってきます。ワインに季節感を求めるならボジョレヌーボーの時だけですが、日本酒は違う、「生」があり、「初呑切り」があり、秋になって「ひやおろし」、そして世界の酒の中で唯一お燗して美味しくなるという特性、乳酸の量が赤ワインの10倍ですから温めると美味しくなる。日本酒こそ季節に溢れていて、いつもお客さんがいるお店になる最大のものなのです。そういうお酒をきちんと選んで、きちんと管理して、今だ!という時にお客さんに渡す。その地道な努力が必要なんです。

昔の町の事

斎藤さん: 小川町の四ヶ町(北部一丁目、北部二丁目、北三、三丁目西)さんは戦前は一つの町会ですね。

横田会長: 「小川町北部町会」でした。当町会内にある小川町北部の守り神「幸徳稲荷神社」とその会館も四ヶ町でお守りしています。幸徳会館は現在は、詩吟などのサークルに利用されていますが、町会主催の趣味の集まりがあれば、今以上にもっと皆が親しくなれると思います。

斎藤さん: 神田和泉屋さんのこの場所が、かつての東京顕微鏡院ですね。

横田会長: 店の所がちょうど顕微鏡院の玄関だったらしいです。日本初の“顕微鏡を使った研究機関”です。細菌学者 遠山椿吉氏が開設しました。関東大震災でここが焼けると、九段に移転しました。前の木造の家を壊した時に、ちょうどこの辺りから高さ1メートル、幅2メートルだ長さが4〜5メートルにわたるレンガの台が出てきました。多分、実験台の土台じゃないかと思い、写真を撮りました。

(三輪車の写真は2歳くらいの頃、町内10番地の南西の角、神田和泉屋から10メートルほどのところで)

斎藤: 稲川楼(いながわろう)も有名ですね。

横田会長: この辺りは、稲葉家の中屋敷の跡で、その重臣だった人が明治維新の後に風呂屋を開きました。平成4年まで営業していましたが、場所はちょうどうちの斜め前です。
 お大名の重臣が風呂屋を開くと大騒ぎになった時、そのお母さんが反対をするどころか、よその銭湯を廻って、腰ひもで寸法を測り、“ここはこうしたほうが良い、ああしたほうが良い”と指図したという言い伝えが残っています。銭湯の名前は、稲葉家の「稲」と小川町の川を採って、「稲川」、「楼」は高い建物の意味ですが、昔の版画を見ても決して高い建物ではなかったようです。

斎藤さん: このあたりは明治維新からの小売りの町ですね。

横田会長: 小川町のB5の出口のところの天下堂ビルにはカフェ、資生堂会館には資生堂レストランもありました。ロシア革命で逃げてきた白系ロシア人の女性たちがカフェで働いていたそうです。靖国通りは、すごく繁華な場所でした。エノケンが歌った「モボ・モガ」の闊歩した通りはここです。母の話では、神保町あたりは新天地と言って、毎晩のように殺人事件があったくらい繁華な場所だったようです。五十稲荷の縁日はスリがでるほどのすごい賑わいでした。
 錦町には、映画館が2軒あり、一番の中心だった須田町には、「いせ源」や「やぶそば」、「ぼたん」が今もありますね。

(左は数え年五歳のときの七五三の写真)


 小さい時の記憶ですが、小川町交差点を美土代のほうから駿河台へ行く日本軍の行進見をました。兵隊さんが銃を担いでラッパを鳴らして歩調をとって通るのを見せられたのを覚えています。確か小さい戦車も通りました。
 戦争が始まってからは、埼玉県の志木に疎開して、帰ってきたときは皇居まで一帯が焼け野原で全く何もありませんでした。唯一、錦町の東京電力の建物だけがありました。神田橋と小川町を走る市電が両方見えました。

3月11日の震災後の防災対策について

斎藤さん: 地震の時は、小川広場には人がたくさん集まったでしょう。建物の中に居るように言われても皆さん外に出てきてしまいました。この町は、住んでいる人より働きに来ている人や、たまたま遊びに来ている人がたくさんいるので小川広場のような空地は必要だし、そういう人たちへの対策も必要ですね。

横田会長: 当日は、役員会の予定でしたが中止にし、週明けの会議は防災会議にしました。実際に地震が起きてみると、道路は人で溢れ返っていました。以前に、神田警察が、大災害が起こった時は靖国通りや本郷通りは通行止めにすると言っていましたが、今回はそんな話は全くなく、道路は大渋滞になりました。もし、怪我人が出ても救急車がこられるわけがない、見過ごすこともできないだろうということで、救急薬品を用意したり、町内の運送会社からリヤカーを借りようという話をしました。
 地震の時にお年寄りの安否を確認するため、役員さんに連絡を取ろうとしましたが、携帯電話が全く使えなかったので、携帯に替わるものとして、現在、小型のトランシーバーを検討しています。
 町内で300メートルも届けばよいので、役員や消防団員等なるべく大勢の人に持ってもらって、いざという時に使い慣れていないと困るから、飲み会の相談もそれでやってもらおうと話しています。(笑)

斎藤さん: 区の防災ラジオからも特別な情報は流れませんでした。出張所と町会、防災課で連絡が取れる双方向の情報システムの整備が必要ですね。

横田会長: トランシーバーがデジタル化される7月にも防災会議を開いて、できることから準備していこうと思っています。トランシーバーの電波が届かない時の対応も考えています。  

横田会長から皆さまへ

 神田和泉屋はビールもウイスキーも20年以上前に取り扱いを止めた地酒の専門店です。
 35年前のある造り手との出会いから、地酒への熱い思いが育ち、今もそれが私の原動力となっていますが、最初から地酒が生活ができるほど売れたわけではありません。
 それでもがんばれて今日があるのは、私の店が神田にあったからだと思っています。「やせ我慢の美学」とでも言いましょうか、売れていなくてもそんなそぶりを見せない、そんな神田の気風です。
 もし私の店が他の地域にあったとしたら、おそらく無理であったでしょう。
 やがて「地酒ブーム」と呼ばれた現象が何回か起こり、今や地酒は一般的なお酒となり、扱う小売店も増え、かつての独占的?な地酒販売は過去の話となりましたが、地酒の世界を伝えようと始めたお酒の学校「アル中学」も開講から25年が経過。
 その間に誕生した卒業生約2千名が、私の選んだ酒蔵と私の店を支えてくれています。ありがたいことです。一緒に仕事をしたいと言って入社した社員達も、今はそれぞれの仕事をこなしてくれるようになり、年齢とともに私に時間の余裕(ほんとうのところは現場で役に立たないから)が生まれ始めました。
 そんな折、地元小学校の大先輩の小端前町会長から「やれ!」と言われて、お引き受けした小川町北2町会の会長の職。ほんとうは、当町会には私よりも町会長職に向いたひとたちがたくさんいるんです。ただ年齢的にまだ時間の余裕がないのです。その人たちにバトンタッチする時が来るまで、今は微力ながら、生まれ育ったこの町への恩返しの気持ちで、日々の目の前の問題と取り組んでいます。(横田達之)

♪ インタビューを終えて
 横田会長さんには、お時間を取っていただき有難うございました。
 神田和泉屋さんの「お酒の学校」で、校長先生のとっておきの「お酒の話、そして神田の町と商売について」伺いました。
 小川町のほのぼのとした中にも、しっかりと防災対策をされているお姿に感銘を受けました。
これからも味覚のこと、町のことをご指導ください。

斎藤

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