千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

錦町一丁目町会長  藤井 城 氏(ふじい じょう)平成26年5月就任

今回は錦町一丁目町会の藤井城会長さんをご紹介します。錦町一丁目町会は、神田公園地区の中央に位置し、神田警察通りを挟んで南北に伸びる町会です。








写真は神田橋交差点から撮ったものです。
本郷通り、外堀通り沿いにはビルが立ち並びますが、一歩中に入ると下町らしさが残っています。

趣味は何でしょうか。どういうところが面白いのでしょうか。

本業は明治34年創業の葬祭業「博善株式会社」です。桐ヶ谷斎場を含む都内主要数ヶ所の火葬場も兼業していた歴史がありますが、昭和4年に火葬事業と葬祭事業が分割され、昭和5年に鎌倉町に本社をかまえ葬儀相談所を開設しました。火葬事業は「東京博善株式会社」として経営されておりますが現在も役員と一株主として携わっております。当時は団体や企業の大規模葬儀が主流でしたが、現在は少子高齢化と宗教儀礼離れの傾向で個人・家庭葬儀が一般的となりました。

また個人的には津軽三味線・日本民謡に携わって30年余になり、公益財団法人日本民謡協会公認教授、工藤流津軽三味線師範 工藤菊詩城という芸名で活動しております。
10年前に「青城会」を発足し、毎週月曜夜に錦町の事務所で教室も開催しております。
日本民謡は日本の生活文化や土地風土を素材とし、誰でもが親しみ楽しめるものであるので、最近では近隣のOLさんやサラリーマンの方々のお弟子さんも増えております。
毎年5月の連休には青森、弘前で「津軽三味線全国大会」「津軽五大民謡全国大会」等が開催され、数多くの門弟とともに遠征しております。

息子の藤井黎元は2012年「津軽三味線日本一決定戦」で優勝し「第五代津軽三味線日本一」の称号を獲得し、現在プロ奏者として活動しております。

(写真の向かって左が藤井会長、右が息子さん)

小さい頃はどんな子どもでしたか。

とにかくわんぱくで遊びまわっていたと思います。スポーツが得意なので野球、陸上、テニス、スキー、サーフィンは学校の所属部員でもないのに混ざって参加しておりました。
中学生からは少林寺拳法を始め、大学卒業するまで東京都大会では毎年優勝し、全国大会では三位になりました。
三味線を始めるまではギターに凝っていてプロを目指そうと思った時期もありましたが、バンド活動の継続が難しく、結局ソロで活躍できる津軽三味線を選んだということになります。

(後列右から二人目)

町会のご自慢(大切にしていること)は何ですか。

とにかく親睦を一番に考えております。神田の中にあって当町会は「太田姫稲荷神社」の氏子であり、他に小川町南部二、駿河台東部、駿河台西部との四町会だけで支えております故、協力体制と協調性はとても大切にしております。本祭りの直会では、町会々員全員で清酒一升瓶4本程使って「鉢あらい」を行います。

町会活動で楽しいことや、印象的だったことはありますか。

隔年祭礼のない年度には親睦旅行も開催し、年末の夜警は2日間婦人部の皆さんの炊き出しによって大忘年会になって盛り上がります。テントは10坪張り30名くらい集まります。
昨年は80年余ぶりに太田姫稲荷神社改修工事に際して修復委員会が発足され、総代皆さんで工事並び建設計画から募財活動や竣工式典、今後の運営方針すべてに関与して次世代へと継承してもらえるよう奔走しました。お陰さまで参拝者もかなり増え、今年の本祭りは盛況にとげることができました。

(写真は、神田警察への門付け)

地区のコミュニティ活性化に大切だと思われることは何でしょう。

近年、錦町周辺は東京電機大学の移転により大規模な再開発が計画されております。
再開発にかかわらず移転を余儀なくされた方々も多数おりますが、移転後も相変わらず町会活動に参画頂いている方々もおります。

また、法人会員も積極的にお誘いし協力を頂いております。時代の趨勢とはいえ、その土地の伝統、文化、慣習、風情を極力活かした開発が望まれます。企業規模の大小にかかわらず、既存の商売、新規ビジネスともに共存し、町全体が活性化するよう、より多くの法人に町会参画頂けるよう呼びかけ、工夫していくことが大切かと思います。

神田の若い人たちに一言お願いします

就学、就職、結婚などの節目で「神田」から離れた場所が拠点となる事があるのかと思いますが、なるべく地元(神田)で活動してもらいたいですね。仕事終りに居酒屋でいっぱいやるにしても、祝祭日に友達、彼女や奥さんと食事に行くにしても、極力地元のお店を利用する。神田の場合は町会をまたいでも隣組意識があります。家族構成や親族関係、友人関係といった和がより広い繋がりを形成し、「あ〜○○町の○○さん・・・」て具合な関係を残して欲しいと思います。

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