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多町一丁目町会長  中曽根 利光 氏(なかそね としみつ)平成30年6月就任

多町一丁目町会の町会長の中曽根利光さんをご紹介いたします。
多町一丁目町会は神田公園地区の東側に位置し、神田駅西口から多町大通りを挟んで北に伸びる町会です。

今回は中曽根会長にインタビューの時間をいただき、色々なお話を伺うことが出来ました。いつもとは質問の項目も異なりますが、神田の伝統と粋を愛する会長の貴重なお話をご覧ください。
(インタビュー実施日:令和元年12月23日)


写真中央が中曽根町会長

ではまず会長のご趣味を伺いました

 ここ10年ばかりは第九の合唱をやってました。結構まじめなグループで、7月から練習を始めて12月まで毎週1回、夜の6時半から9時まで練習なんですが、その半分以上がボイストレーニングでした。途中でお腹が空いちゃうこともあったけど、本番では東京フィルとか日本フィルをバックに歌うことが出来たんですよ。同じ楽譜なのに指揮者によって解釈が違うから毎回新鮮でしたね。残念なことに去年まで参加してた文京区のイベントが終わっちゃったから今はちょっとお休み中。

 あと外せないのが落語。前に住んでいた北区の落語愛好会に所属して15年になります。この愛好会っていうのは“二つ目”を育てて“真打”になるまで面倒を見るっていう会です。それで真打になったらうちの会で幟をつけてあげて、お金の無い人には羽織を作ってあげたりもします。もう35年も続いてる会なんですよ。
 そしてね、うちの会は笑わないで有名なんです。クスリとも笑わない。会費を集めて会のメンバーだけで落語を聞いて、まずいとこがあったら打ち上げで「あれまずかったよ」って言うんです。人によっては「君さ、その話誰に習ったの?」とかね。耳が肥えてないと出来ないですよ。
 落語は聞く側の想像力や知識も大事でね、例えば『へっつい幽霊』っていう話があるんですけど、「へっつい」って分かります?長屋の“かまど”のことなんですけど、どういうかまどなのかをイメージするために江戸東京博物館とか深川資料館とかにみんなで行って、これがこうだとか言ってるわけですよ。そうすると「ああ、このシチュエーションだからそうなのか」っていう風に思って聞けるようになるんですよね。こういうのを知ってて聞くのと、知らないで聞くのではえらい違いなんですよ。
 私の好きな演目?やっぱりグッとくるやつかな。上手い人じゃなきゃダメですけどね。でもやっぱり面白いのは面白いからねぇ、志ん生とかね。好きな演目は選べないかな。ちなみにうちの町会の住所は昔「堅大工町(たてだいくちょう)」って言ってて、色んな落語に出てくるんですよ。
 まぁ色々話したけどとにかく、噺家が最低でも10年かけて真打になっていく様を見ると、我が子が独り立ちしたような気持ちになりますね。

続いて子どもの頃のお話しをお聞かせください

Q.ご出身は?
 生まれは昭和27年、神田佐久間町に住んでいました。戦前は神保町にいたみたいですけど、親父が焼け出されて佐久間町へ移ったって聞いてます。幼稚園は神田寺幼稚園です。神田に結構人が住んでいた時代だから子どももたくさんいたと思います。あの頃(昭和30年頃)にスクールバスを持っていて色んな所に連れてってくれた幼稚園は他にありませんでしたね。

Q.どんなお子さんでしたか?
 聞くところによると大変やんちゃだったそうですが、カラヤンが日本に来た時に演奏を聴いて「こういうのいいね!」と親に言ったらすぐにバイオリンのお稽古に通わされることになって大変な目に遭いました。それ以来余計なことは言わないようにと心掛けてます。

Q.小学生の頃のお話を教えてください。
 今の人たちは知らないと思いますが、昔は小学校に“ストーブ当番”っていうのがあったんですよ。達磨ストーブがあって、コークスっていう燃料を入れて、当番の子が朝に火を付けるんです。小学3年生くらいからやらせるんですよ、学校が。今は危ないってんでこんなことさせないですけど、昔はあったんですよ。しかも、みんなが鉛筆削り用のナイフを持ってる。それで喧嘩なんて無かったっていう時代ですよ。
 あとはね、学校の授業で水鉄砲をやったんですよ、棒と竹筒を使って。学校から「ボロ切れ持ってこい」って言われて、竹筒の太さに合うように棒にボロ切れを巻くんですけど、上手に巻かないとしっかり圧力がかからない。その後に錐で竹に水の出口穴を開けるんですけど、これも内側から開けるのと外側から開けるのでは違う。そういうのを工夫しながらやっていって、水が出たとか出ないとかやってたんですよ。それが弟の時になったらね、教材が変わったんです。要は水圧の実験だからっていうことで、穴の開いたパイプがあって、パッキンが付いててみんな一律に水が出るようになってたんです。確かにそれを教えるための授業だとは思いますけど、自分たちの方が考えたり、工夫したりっていう点で学習としては良い時代だったのかなって思いますよね。

町会活動や町に対する思いをお聞きします

Q.町会活動へ関わり始めたきっかけは?
 親父がやってた商売を「お前やれ」って言われて、こっち(多町一丁目町会)に来てからなので、成人してからですね。ただ神田には友達もいたので、その前から多町二丁目町会とか司町二丁目町会には御神輿を担がせてもらってましたね。

Q.町会のご自慢や大切にしていることは何ですか?
 まずは、とにかくまさに、神田っ子というか、個性の強い諸先輩が多くいらっしゃったことですね。まだ自分が町会に入ったばかりの時ですけど、お祭り(神田祭)が終わって冬になっても、自分が知ってる限りで3人、素足に白い雪駄を履いて町内を歩いてるんですよ。なんでこんな寒いのに裸足なんだろうと思ってたら…。粋がってる、お祭りの余韻を楽しんでるんですって。今はそれがカッコ良かったんじゃないかと思うんです。いかにも神田っぽかった。それを自慢していたのかな。あの時は変な町会だなとも思いましたけど、今はもう“そういう人”がいないことを寂しく思いますね。
 そういえば自分がまだ若い時、町会の大先輩に「神田の粋知ってんのか?」って言われてね、その人が言うには『気配りと思いやりとやせ我慢』だって言うんですよ。この“やせ我慢”ってのは見栄を張るっていうことね。無理してでもお金を出すとか、若いのが来れば身銭を切って…とかね。あの感覚も神田っぽいですよね。やっぱりそういう人も多いし、そういう美意識があるんですよ。
 神田っていう所は美学があって、ブランドがある町。例えば北海道で飲んでても沖縄で飲んでても「どこから来たの?」って聞かれた時に「神田だよ」で通じるんですよ。それは凄いことでしょ?だからなんとかこういうのを次の世代に残していきたいと思いますよね。

Q.町会活動で楽しいことを教えてください。
 毎年行われる町会日帰り旅行は楽しい思い出ばかりですね(以前は一泊旅行をしていて、長崎ハウステンボスや金沢まで行ったこともありますよ)。最近はまた参加者も増えてきて、バス1台30人ぐらいで出かけています。子どもも来るし、賑やかでいいですよ。
 あとはお祭りだね。町会のみんなが一致団結して自分たちの役目を務め果たす様子には胸を熱くさせられるし、非常に清々しい気持ちになります。

Q.長く町会に関わってきた中で印象深い出来事はありましたか?
 「神田時間」の話をしましょうか。
 町会の日帰り旅行でね、朝7時に集合して、7時30分に出発っていうんでカミさんと2人で7時に行ったんですよ。そしたらもう亡くなっちゃった方なんですけど幹事の人に「あんた達だけだよ来てないの!」って。もうみんなバスに乗ってるんですよ。それぐらいに気が短いの。なんでだか知らないけど早いんですよね、30分前にみんないますね。そんな事が色々あって自分は絶対に早め早めに行かなくちゃってなりましたよ。諸先輩を差し置いて俺が遅刻しちゃまずいとかね。もうトラウマだよ。
 余談だけど上下関係も厳しい。小学校で1つ上の学年だったとか、中学校で1つ上だったとかがずっと続いてて、80歳になっても「先輩!」なんてやってますからね。小学校とか中学校の段階で関係が出来上がってて、それがずっと変わらないの。あれは面白いよね。

Q.地域のコミュニティの活性化に大切だと思われることは何でしょうか?
 大切なのは「あいさつ」ですね。どこで会っても「ああどうも!」って声を掛けられるような関係。何をやるにしてもまずそこからだと私は思ってます。
 うちの町会でいいなって思った事があって、お祭りの後の土曜日に小神輿の門づけをするんですけど、子どもたちも来るから、私もちょっと接待っていうかお菓子とかジュースとか出すんです。そうすると終わった時に「中曽根さん、ありがとうございました」って言ってくれるんですよ。これもひとつのコミュニケーション、最初のワンステップですよね。子ども同士はね、たまたま1日一緒に神輿担いだだけでも友達になってたりするし、どこの子か分かんない時もあるけど「次また来たいな」って思ってくれたら最高ですよ。

Q.神田の若い人たちに一言お願いします。
 私が神田に来てからどんどん変わっていく街の様子を見てきました。今は人口が6万人を超えるまで回復しましたけど、一時人口が減って、小学校の統廃合で思い出の学び舎が無くなった人もいたりしてね、町会とお祭りは死守しないと神田ではなくなってしまうんじゃないかという危機感もありました。
 今の神田は、神田の人間だけじゃなくて、神田以外の人(=神田イズムに同意してくれる人)がいて、上手く融和して今の町会の形が出来てます。ただ、町のみんなが落ち着いた穏やかな生活をするためにはどうしたらいいとか、伝統や文化をどうやって守るのかっていうのは課題のままですけど。
 でも、とにかくお祭りでも何でもですが、自分に縁のある人とかその子ども達のために何か残してあげなくちゃっていう気持ちで町会長をやらせていただいていますし、400年続いてきた伝統を次の世代にバトンタッチ出来る立場に自分がいるっていうことをありがたく思ってます。
 老齢化と後継者の問題はどこの地域でも同じ悩みだと思いますけど、若い人たちには「神田」という江戸時代から連綿と続いてきたブランドの中での“自分の立ち位置”を本当の意味で理解してもらって、神田っていかに素晴らしいかを表現して、次の世代につなげていってほしいですね。

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