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内神田旭町々会長  髙柳 信三郎 氏(たかやなぎ しんざぶろう)平成18年6月〜平成26年6月

平成20年1月17日(木)、
今年最初の町会長いんたびゅーは
内神田旭町々会会長の髙柳 信三郎 氏を
内神田の事務所にお訪ねしてのスタートとなりました。
午前9時、朝の光が穏やかに差し込む7階の事務所で
髙柳会長からお話を伺う今回のインタビュアーは
「大好き神田」作業部会座長の斎藤さん(内神田鎌倉町会)です。

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さっそくですが、町会の一番のご自慢(大切にされているもの)をお聞かせください。

 旭町の場合は、佐竹稲荷の維持管理だと思います。自分たちの父親たちの世代の人たちが努力されて昭和30年に今の建物が再建されました。その時に、祭祀は神田明神に預け、社務所の一部を人に貸して、町会が維持管理を続けられるようにしました。昭和30年の話ですよ。すごい人たちでした。そうして守られてきたのですから、旭町と言うと、すべてが佐竹の前から始まります。必ず社務所前に集まる、旅行のときの集合もそうです。旭町を語るのに佐竹稲荷を抜きには語れないですね。
(写真は昭和33年の町会役員、前列左から二人目が会長のお父様 ��柳芳雄氏)
 

歴史のある町会ですね。町のことで現在気になることはありますか。

 僕は新過疎化現象と名付けたのですが、現在、町会内の二箇所ほどで土地の買収の話が出ています。年明けから株価が下落するなど日本経済の先行きが見えない中での動きですから、これがどの範囲で波及していくか、どういうものが建つのか気がかりですね。特に土地の買収者と建築主が同一でない場合はどんなものができるのかまったくわかりませんから。


町会長になって良かったこと、嬉しかったことは何でしょうか。

 町会のトップに立てて嬉しいっていうのかなあ。(笑)
 でも、良かったことと言えば、千代田区とか神田警察署と地域の課題について話をするときに、相手のトップの人が地域の意見として話を聞いてくれるようになったことです。役員会などで町会の皆さんの意見を聞いておいて話をすると向こうもしっかり聞いてくれるようになりましたね。

��柳会長さんは日頃からきちんと理事会などで、町の方の意見を集約されているんですね。では、今後の若い人たちに期待することは何でしょう。

 僕は今の町の若い人には、どうも「進取の気概」というものが欠けて、みな楽なほうに流れているような気がしてならない。若い人には気概を持って欲しいですね。それと「地域の和」ですか。だけどそれは仲良しクラブとは違うんです。

内神田旭町々会のアピールと地区のコミュニティ活性化に大切と思われることをお聞かせください。

 町会長になって二年目、決算も二回済ませたところですが、一回目から決算書の裏に、今年度は町会のみんなでこれを気をつけてやっていこうよということを書いています。昨年も書きました。
 一年目は「楽しく、風通し良く、来るものは拒まず」、二年目は「地域の和、社会への貢献」。この次の決算の時はどうしようかと今考えているところなのですが、来るものは拒まずとか、風通し良くとか、楽しくとか、和とか、段々となってきたような気がするんですね。社会への貢献もそうです。朝の交通安全の旗振りとか、いろんなパトロールとか、みんな良くやっていると思います。今年も書きますので、決算書を見ていただくときは表紙の裏を気にしてください。

 地区のコミュニティ活性化については、僕はそれを“千代田区の町の経営”であると考えたのですが、大切なことは“人に優しい居住空間の確保又は創出”ですね。(人に優しいと言う場合の対局は車です。)そして、町会として区の地域の経営に積極的に参画していくということですね。


ここまでは、町会長としてお尋ねすることでしたが、次は会長ご自身のことについて伺っていきます。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょう。

 ガキ大将でもなく、追従するタイプでもなく、どんな仲間といたかと言うと、(自分はいじめられるわけではないのですが、)よくいじめられっ子と遊んでいましたね。柄が小さいとか、途中から転校してきたとかで、いじめられていたような子と遊んでいたことが多かったですね。
 それが、高校に入ってから変わりました。スキーをやったことや、東北一周旅行や北海道一周旅行をしたこと、そしてもう一つ、高尾から甲府まで夜間敢行で歩く百キロ競歩というものを経験したせいですね。その競歩というのは、150人くらいの生徒が一斉に高尾(当時の浅川駅)から甲府までの甲州街道を中央線の駅に沿って歩くのですが、最終的に甲府駅に着いたのは30人くらいという厳しいものでした。雨ガッパと毛布、4食分のおにぎりと水を持って寝ないでひたすら歩き続け、落伍者は途中の駅ごとに先生が収容する。笹子峠を越えた辺りではほとんどの生徒がバテて、あと二つ駅を歩けば甲府というところ、今の勝沼駅で多くの生徒が歩けなくなりました。僕は三年の秋に参加したけれど、その時に自分が変わりました。自分が生きていくには自分しかいないと思った。自分が歩かなければ誰も助けてくれないと思った。もちろん次の駅まで歩けば先生がいたのですが。
 甲府駅のコンコースでは、ようやくたどり着いた生徒が皆地面にへばりついて立てなかった。後日、朝礼で最後まで歩いた人は前に出て表彰されたが、百キロ競歩はその後中止になったようです。校長自らの発案でしたが、今では到底考えられないような競技でした。そういうことに参加して、だんだん主張ができる自分になりました。

子どもの頃はどんな呼び方をされていましたか。趣味は何ですか。

 小さい頃から“しんちゃん”ですね。今でも、かなりの方にそう呼ばれているのではないかな。

 趣味はね、スキーとか山とかが嵩じて山小屋まで持って30代、40代を過ごしたけれど、50歳を境にぴたりと止めました。50歳からはゴルフと詩吟です。運動を一つと、発声することを一つと考えた。年を取ったら歩くことと声を出すことをしなくてはと思いました。ゴルフは上手くはないけれど、今でもいつ誘われてもついて行ける。教室とか練習場には行けないから、イメージトレーニングですが、50代では、ハンデキャップ20くらいが最高でした。詩吟は、健康の為にやっているので、発表会とか段級試験は勘弁してもらっています。60になってから始めた朝のウォーキングも、もう8年になります。
(写真は、昭和50年5月に広島までバイク、ホンダのCB750で行ったときのもの。着ている服は、ベルスタッフ)

 40歳になった時、記念に何かやろうと考え、新聞や本を読んで居て、心の琴線に触れた言葉にめぐり逢うとそれを捨ててしまうのがもったいないと思って書き留めたのが今では大学ノート15冊になっています。3年前に6冊分くらいをまとめて本にしました。自分の意見も少しは書いてありますが、あまり私見は入れていないものです。

座右の銘は何でしょう。あちらの額に書いてある言葉ですか。

 これはね、論語の陽貨第十七編ですが、子張という弟子が孔子に「仁とは何ですか」と聞いたんですね。すると、「恭、寛、信、敏、恵」を全うすることだと孔子が言った。意味は、恭なれば侮られず、寛なれば衆を集める、寛は広いという字、これを名前に使っている人は多いでしょう。心が広ければ人が集まる。信なれば人に任じ、信用があれば人に認められ、敏なれば巧ありといって、頼まれたことでも自分でやっていることでも、てきぱきとやっていけば良いことがあるよと言う意味。恵なればもって人を使うに足れり、人を使うことができる。僕は前からこの言葉が好きで、自分のことを理解してくれた友人がビルの落成祝いに何が欲しいかと聞いたときに、表装は自分でするから、この言葉を書いてくれと頼んだ。一月ほどかかったが、落成式に間に合うように持って来てくれた。「恭 寛 信 敏 恵」いまだに自分はそこまでいっていないと思うが、私の座右の銘です。

いい座右の銘ですね。それでは、これだけはゆずれないというもの、こだわりをもっているものはありますか。

 本当のことを言うとね、食べ物とか酒とか車とかにこだわりはあったのですが、60を過ぎたらほどけてしまったというのか、今日美味しくいただけるものなら何でもよくなった。例えば、この肉だったらこのソースをかけて食べると美味しいとか、ご飯だったらコシヒカリじゃなきゃダメだとか、それが何でもよくなった。今、いただけるものを美味しくいただければいい、それだけですね。かえって皆に申し訳ないと思うけれど、食に対するこだわりはあまりないですね。
 かみさんには、鰯とか秋刀魚の刺身が喰いたいな、季節の安い魚を買ってきてくれと頼んでいる。あとは目刺、目刺の美味しさは60になってわかった。枝豆、さつまいも、にんじん、今はキャベツ、白菜なども素材の美味しさが好きです。何でも食べることは食べますが、ソースで食べさせるとか、料理人のテクニックで食べさせるものより、できれば素材で味わうものを食べたいです。お酒も50代の頃は、これじゃなきゃダメだと一生懸命取り寄せたりもしましたが、今は何でも美味しいですね。

目刺と言えば、経団連の土光敏夫さん「メザシの土光さん」ですね。��柳会長さんの言われるのは、何でもすべて旬のものが美味しいし安いということですね。では、いよいよ「大好き神田」についてです。会長さんはいつも見てくださっていると思いますが、このHPに期待することをお聞かせください。

 自分では見ますけれど、皆さんに充分活用されているのかと思う。せっかくカレンダーがあるのだから、各町会の予定をもっと情報提供して欲しいですね。HP自体は素晴らしいことだと思うのですが、やはり地域や各町会の事前情報がもっと掲載されるようになるといいと思いますね。


♪ インタビューを終えて
 髙柳会長さんには、早朝から貴重なお時間を『大好き神田』の為に割いていただきありがとうございました。神龍小学校の先輩からじっくりと有益なお話を伺う機会をいただき『大好き神田』にも感謝です。
 髙柳会長さんの今後のご活躍と内神田旭町々会さんの益々のご発展をお祈りいたします。

斎藤

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