千代田区・神田公園地区連合町会のサイトです。

神田橋町会長  須永 忠雄 氏(すなが ただお)平成10年4月〜平成21年5月

朝晩の涼しさに秋の深まりを感じるようになった10月16日(木)
第17回目の「町会長いんたびゅー」のお客様に
神田橋町会会長の須永 忠雄 氏をお迎えしました。

平成16年7月に「内神田住宅町会」から「神田橋町会」と町名を改正した当町会は、
区営内神田住宅に入居する住民の方々で構成されています。
インタビュアーの斎藤さん(内神田鎌倉町会)が、
須永会長から、まず町会の特色についてお話を伺っていきます。

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平成5年10月1日に「内神田住宅町会」として、正式に町会が発足されてから、この10月で15周年ですね。町会としてのご自慢や大切にされているものをお話しいただけますか。

住宅に入居する人が町会員になりますから、従来から神田に住んでいる人で作られた他の町会とは大きな違いがあります。町会は住宅の自治会を母体として、かつ自治会の上に町会があるという二面構造になっています。町会発足以来、町会の総会と自治会の総会は別のものとして開催されています。
こうした特質がある町会なので、なによりもまず連合町会内の他の町会との“融和と共生”を常に考え努めています。





町会のことで現在気になることはありますか。

他の町会さんも同様だと思いますが、町会役員として町会活動を引き継いでくれる後継者がいないということが課題ですね。住宅の入居者は千差万別ですが、近隣町会に実家がある二世・三世の方が入居される場合は、町会行事を理解されているが、もともとの実家のほうの町会行事にも参加しなくちゃならないでしょう。忙しいですよ。


また、住宅に長く住まわれている方は皆さん高齢化してきている。若い世帯の方もいますが、ほとんどが共働きで、普段顔を合わせることも少ない。
子供が生まれて、ちょうど町会活動に参加していただきたいと思う中堅の年齢層になると、今度は区営住宅の入居条件に合わなくなって転居されてしまう。本当に残念です。



「神田橋町会」になって4年、名実ともに、この名前を汚さないようになんとか発展させていきたいと思っています。今は、ちょうどその“経過”として、過渡期と考えています。

(写真は平成13年頃の町会のお花見の時のもの 和田倉噴水公園で)

会長ご自身のことを伺います。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか。

生まれたのは埼玉県深谷市です。農家の次男坊なので、最初は鉄道に入りましたが、母方の実家が娘ばかりだったので、行く行くはそちらに養子に出されると思い、何とか飛び出そうと官立の無線学校に入学しました。
戦時中のため、無線学校を繰り上げ卒業と同時に入隊通知がきて、広島の大本営陸軍通信隊宇品通信所に配属されました。間もなく福岡通信所に転属になり、大宰府の山奥の山家(やまいえ)という壕の中で終戦を迎えました。このため広島の原爆投下の難を逃れることができました。この時17歳でした。
戦後は、無線通信士の資格を持っているということで、警視庁に入庁し、文京区の富坂署の勤務になりました。

その後、警視庁本庁で、110番で事件通報を受理した事件を、パトカーへ出動要請をする「無線司令室」を開設する要員として選出されました。
当時はトラックを改造したラジオカーで粗末な車でした。無線の機材は全てGHQから払い下げられたものでしたが、テストにテストを重ね通信要綱なども作成しました。これが現在に至っていることは周知の通りです。写真は当時のものですが、壁面の地図はラジオカーの現在位置をランプで点滅して示したものです。
(後列中央が会長)


警視庁勤務の傍ら日大の法科を卒業、将来司法官を志していましたが、体調を崩して夢も破れ、約10年間勤務した警視庁を退職せざるを得ませんでした。

その後、友人と共に調査関係の事務所を秋葉原に開設。一時は20人前後の調査員がいましたが、バブルの崩壊で縮小しました。商標(ブランド)の使用状況や裁判の証拠資料収集、企業の調査などの業務を主体としていました。

住居は警察官当時は、文京区指ヶ谷町にあった寮に住んでいましたが、退職後転居して、平成6年に勤務先が千代田区(秋葉原)だったことから、入居者の募集をしていた内神田住宅へ入りました。

(写真は、寮の近くの指ヶ谷派出所へ遊びに行った時のもの。後列向かって右が会長)



子供のころは何と呼ばれていましたか。会長の趣味は何でしょうか。

ニックネームは特にありませんでした。
趣味は、子供の頃はほとんど農家(実家)の手伝いに追われていましたが、田舎なので魚釣りなんかは良くやりましたね。今は盆栽が趣味でサツキなどを育てていますが、だんだん増えて置く場所がなくて困っています。

食べ物では特に好きな物も嫌いなものもありません。何でも食べますし、酒も煙草も嗜みません。軍隊にいた頃は未成年者にも煙草が配給され、仕方がないので実家に持って帰りました。長い間しまってあったため、少しカビが生えていたものもありましたが、物がない頃だったので、父親がすごく喜んだのを覚えています。


最後に「大好き神田」についてお聞きします。ご覧になったことはありますか。

申し訳ないですが、パソコンも携帯電話もやらないので見たことはありません。息子も職場ではインターネットはやるようですが家ではやりませんから、なかなか見る機会がないですね。ただ、以前の町会長いんたびゅーはいくつか読ませていただきました。

(写真は、内神田住宅から見た夜景「神田を歩こう」から)

♪ インタビューを終えて
 須永会長さんには、お忙しいところを大好き神田のインタビューにお越し頂き有難うございました。
 元警察官としての矜持を持たれてご活躍されている会長さんのご健康と、神田橋町会さんの益々のご発展をお祈り申し上げます。

斎藤

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