| 江戸時代に遡りますと神田堅大工町とよばれ、大工職・左官職・屋根屋等の職人が多く住む町であったという。また江戸名物と言われた「纏屋治郎兵衛」の店があり、江戸でただ一軒の纏屋であったという。町火消しの旗印たる「纏」はいずれもこの店で造ったものであり、「いろは」四十七組はもとより、他の地方の分までも一手に手掛け、その名は広く知れ渡っていたという。
現在の多町一丁目町会の成り立ちはといいますと、大正2年ごろの記録によれば、すでに睦会の名で親睦をはかっていたことが記載されています。会長に杉本吾助氏の名が見られます。大正11年堅大工町町会発足、町会長に唐沢喜三七氏、弘田浅次郎氏、伊藤藤次氏。大正12年関東大震災により全町焼失してしまいました。
昭和6年区画整理実施により堅大工町と新石町の一部が合併して多町一丁目町会が発足しました。初代会長に伊藤籐冶氏、二代目会長に稲垣為冶氏が就任しました。敗戦により昭和20年町会は解散され、その後赤十字奉仕団として町会有志が運営にあたっていました。
昭和25年講和条約締結にともなう政令解除により千代田区内で一番早く町会制を復活し、初代町会長に萩原卓氏が就任、その後、鳴海貞蔵氏、奥村嘉一氏、中野文男氏、小林清邦氏と代を継ぎ、現在の丸山正彦会長に至っております。
神田駅近辺という立地から小規模な雑居ビルが多く飲食店、各種店舗、事務所、住宅が混然と同居した神田らしい町です。その中でここに紹介する当町会員の皆さんが経営する各種のお店は、宣伝下手でインターネットで検索できない店が多くありますが、サラリーマンの味方として代々先輩から後輩に口伝された実直な、実質感あふれるB級グルメの店ばかりです。また商店も同様です。
皆様のご利用を心よりお待ち申しあげます。
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