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町会ガイド

多一

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 平成22年1月9日新年会
神田明神会館にて初の町会新年会開催
その前にこれも初の町会として拝殿、お払いを受けました。





 第47回千代田区民体育祭
10月18日神田公園チィームとして参加







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当町会はJR神田駅西口から多町大通りを挟んでその両脇、神田警察通りまでの旧多町一丁目地区の住居、店舗、事務所等混在する一角にあり住み、集う有志の協力のもとに神輿、大柳稲荷崇敬を軸として安全・福祉・防犯・防火活動等地区コミュニティ活動を行っております。

昭和41年の住居表示の変更に伴い旧多町一丁目1番地から10番地は内神田三丁目7番、12番、13番、14番、17番、18番、22番、23番となり現在に至っております。郵便番号7桁の今日、コミュニティ再生のためにも再考が望まれます。



神田駅西口から見た多町大通り

神田警察通りから見た多町大通り



大通り裏飲食店街 多一夜景
江戸時代に遡りますと神田堅大工町とよばれ、大工職・左官職・屋根屋等の職人が多く住む町であったという。また江戸名物と言われた「纏屋治郎兵衛」の店があり、江戸でただ一軒の纏屋であったという。町火消しの旗印たる「纏」はいずれもこの店で造ったものであり、「いろは」四十七組はもとより、他の地方の分までも一手に手掛け、その名は広く知れ渡っていたという。

現在の多町一丁目町会の成り立ちはといいますと、大正2年ごろの記録によれば、すでに睦会の名で親睦をはかっていたことが記載されています。会長に杉本吾助氏の名が見られます。大正11年堅大工町町会発足、町会長に唐沢喜三七氏、弘田浅次郎氏、伊藤藤次氏。大正12年関東大震災により全町焼失してしまいました。

昭和6年区画整理実施により堅大工町と新石町の一部が合併して多町一丁目町会が発足しました。初代会長に伊藤籐冶氏、二代目会長に稲垣為冶氏が就任しました。敗戦により昭和20年町会は解散され、その後赤十字奉仕団として町会有志が運営にあたっていました。

昭和25年講和条約締結にともなう政令解除により千代田区内で一番早く町会制を復活し、初代町会長に萩原卓氏が就任、その後、鳴海貞蔵氏、奥村嘉一氏、中野文男氏、小林清邦氏と代を継ぎ、現在の丸山正彦会長に至っております。

神田駅近辺という立地から小規模な雑居ビルが多く飲食店、各種店舗、事務所、住宅が混然と同居した神田らしい町です。その中でここに紹介する当町会員の皆さんが経営する各種のお店は、宣伝下手でインターネットで検索できない店が多くありますが、サラリーマンの味方として代々先輩から後輩に口伝された実直な、実質感あふれるB級グルメの店ばかりです。また商店も同様です。
皆様のご利用を心よりお待ち申しあげます。






大柳稲荷 大柳稲荷神社


関東大震災後、東京が復興した大正末期に稲荷神社が多町一丁目4番地(内神田三丁目13-7)に建立されました。先の大戦末期に空襲で焼失してしまいました。 

昭和25年、工作機械、工具商を営んでおられた筒井賢次郎氏が、購入した8番地(内神田三丁目22番)の土地の一部に稲荷神社を再建しましたが、その後事情により同地を売却することになり、同じ8番地の住人 初代辻本恵一(本名菊代)氏が昭和28年8月に購入した上で、その一部の土地を永久に稲荷とするために町会に売却、神社は辻本氏が宮大工 杉山金七氏に依頼し建立したうえで町会に寄贈しました。

平成15年税制上などの理由から土地は神田明神に寄贈されました。建立したときに植樹した柳の木が大木になり樹齢30年、昭和58年まで聳え立って文字通りの大柳稲荷神社でした。残念ですが今は柳の木はありませんが、町会の守り神として、毎年初午祭がおこなわれるなど大切に維持されています。









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