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町会ガイド

小川一南



宝暦5年(1755)江戸切絵図によると、この辺りは「近藤織部正」「岩佐郷蔵」「山田立長」らの武家地だっが、慶応三年(1867)には四軒町・武家地・雉子町となり、徐々に職人の町へと推移した。

その後大正12年の関東大震災による、震災復興都市計画(昭和6年)にともない町の様子も変わり、町名も小川町・美土代町四丁目・雉子町へと変わった。

さらに昭和8年(1933)「旧小川町の一部」「旧美土代町四丁目」「雉子町北一部」が「小川町一丁目」となり、小川町一丁目奇数番地1〜11番地を「南」として、昭和30年「小川町一丁目南部町会」は発足した。






町会のあゆみ
昭和初期、この辺りは小川町一丁目、二丁目、三丁目全体で「本小川町町会」という大変大きな組織だったが、戦時中の隣組制度を経て終戦とともに解散した。

現在の町会は、昭和30年2月12日に淡路小学校講堂において設立総会を開き、主として地域の連帯と親睦を目的として発足し、初代会長には布河谷善三郎氏が就任した。その後、昭和32年4月の総会において、清水弥太郎氏が二代目町会長として選任される。以来町会員の福祉増進(特に老人福祉)、青少年の健全育成、町内の環境美化を町会運営の三本柱とし、その優れた指導力から町会は大きく発展を遂げ、東京都知事を始め、区長、警察、消防その他の関係より数々の表彰を受けた。

昭和47年、東海地方の大地震を想定し、地域防災の必要性を考え、それまで執り行ってきた祭礼にかかる経費を防災に回す観点から、17年間祭礼に使用した山車と神輿を、東京都養護施設である都立宇佐見児童学園に寄贈し、同年9月1日、神田明神にて修抜を受け、小川町一丁目南部町会自衛消防隊を結成した。




小川町交差点を都電が走っていた
当町会のある神田小川町は、もともと多くの文化人の集まる街、学生の街として繁栄してまいりました。学生さんや行商人相手の旅館や下宿旅館もあり、学生さん相手の商店も多かった。またそれに伴う行商人により町にも活気がありました。住んでいる方も多く、世間話に花が咲く。子供達は馬車の荷台のうしろにぶらさがってみたり、ケン玉、メンコ、ベーゴマ、かくれんぼ、鬼ごっこ、子供用自転車、三輪車、缶蹴りなど元気に遊びまわっていました。数々の遊びが想い出されます。また紙芝居、駄菓子屋、おもちゃ屋もありました。

戦後暫くの間、小川町商店街通りにもラジオ商店や露天商がありました。バナナ室倉庫、井戸、汲み取り、ごみ箱等生活に不自由ない町会でした。金魚売、納豆売、キセル修理、トウガラシ売、とうふ売、シジミ売、雑貨売、アメ細工売、朝顔売、竹竿売、チンドン屋、お正月のしし舞、三河漫才、ナベ・釜・ヤカン修理等、行商人達が町中を歩いていました。また、盆踊り、ラジオ体操、少年野球大会、音楽隊、子供用図書館などを町会が主催して行っていました。

昔から交通の要所だった小川町交差点には、多くの都電が走っていました。10系は渋谷駅前から須田町間、12系は新宿駅前から両国駅前間、15系は高田馬場前から茅場町間、25系は西荒川から日比谷公園間、37系は三田から駒込千駄木町間です。しかし、昭和42年(1967)頃より東京中心部より都電が消え始め、今は新たな交通手段として、地下鉄丸の内線(淡路町駅)、千代田線(新お茶ノ水駅)、新宿線(小川町駅)が縦横に走っています。

昔あった町会のお店屋さん
 古物商、洋服屋、呉服屋、旅館(業商人宿、下宿)、八百屋、魚屋、小物屋、クスリ屋、床屋、燃料(炭屋)店、酒屋、食料品店、レコード店、クリーニング店、碁会所、将棋所、ミシン塗装所、ダンス教習所、スポーツ用品店、電気部品店、羅沙店、眼鏡店、印刷所、おもちゃ屋、カバン店、テント、シート作業所、店舗装飾店、自動車塗装所、お風呂屋、マッサージ師、乾物店、本屋、喫茶店、のみ屋、飲食店、医者、はきもの店、時計店、米屋、文具店、海苔、お茶店、駄菓子屋、写真用品、氷屋、鮨屋、絵画材店、ガラス屋、銀行(十五銀行、近江銀行)、舞台用貸靴店


町会の変動と現実

昭和初期、この辺りには約300世帯が居住、昭和30年の町会発足当時は、200世帯となったが、日常生活用品を扱う商店も数多くあり、生活には事欠かなかった。

しかし、その後昭和39年の東京オリンピックを契機とする経済高度成長期には、丸ノ内ビジネス街の延長になり、町は急速に、かつ大きく変貌する。生活環境の著しい変化により、今日では法人会員を含んでも町会員数は80会員と激減、世帯数も53世帯となり、夜間人口は60人程度となった。



小川町ハイツの全景
前町会長の清水弥太郎氏の尽力により、日本住宅公団による等価交換方式の都心部に於ける初めての住宅として、完成された小川町ハイツは区民の増加に寄与しております。






平成七年四月の総会で、三代目町会長に神谷誠一氏が選任された。
現状を踏まえ、今後の町会運営がどうなるかが課題という。今までの町会長の意志を継ぎ、
町会員と共に「連帯」「懇親」をモットーに町会運営に取り組んでいる。

街 角
淡路町交差点(写真左)から小川町交差点(写真右)までの靖国通りに面しているのが
『小川町一丁目南部町会』です。


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