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町会ガイド

錦三-一



江戸時代は「護持院ケ原」と本多豊後守などの武家地であった。「護持院ケ原」は一番原から四番原まであり、すこぶる桂景の地であった。夏秋の季節は一般に開放され、冬春の間は将軍が小鷹狩を催したという。慶応年間(1865〜68)には一番原を残すのみで残りの場所は武家屋敷に変わり、維新後には国の学問関係の諸施設がつくられ学問の街としての特色を整えていった。森鴎外の小説「護持院ケ原の仇討ち」の舞台としても有名な場所である。当地は明治の初期に「錦町三丁目」となり昭和37年に「錦町三丁目町会」から分離独立して新たに「錦町三丁目第一町会」として発足した。


錦三第一札 集合写真


錦町三丁目第一町会の歩みと現状
大正14年に錦町会が創立された。たいへん大きな町会で地域が広範囲に亘ることから当時は町会組織の下に部会制をしいていた。

当時の一、二の部が現在の錦町一丁目。三、八の部が錦町二丁目。四、五、六、七の部が錦町三丁目にそれぞれ相当する。終戦後の昭和28年、錦町四、五、六、七部会として再発足し、昭和30年にこれらを併合して現在の錦町三丁目町会を結成した。さらに昭和37年に旧四の部が独立して新たに錦町三丁目第一町会を創立した。当町会は平成14年、40周年を迎えた。

この10年は町会にとっても大変動期であった。平成4年町会創立30周年を祝った時点で町会員数70軒、(実際に住んでいる)世帯数29世帯が平成14年に至っては町会員数45軒、(実際に住んでいる)世帯数10世帯となってしまった。一方ではこの2〜3年ワンルームマンションが建ちはじめ2003年には5軒252戸が当町会に加入することになるが、実際に世帯数が増えても町会には町会費などの収入的なメリットはあるものの、役員になっていただく方々などの質的な人員増加の期待は薄い。マンション入居者の方々の町会参加を心よりお待ちしています。



町会、二階家建物ファイリング
ビル化が進む錦町でも当町会には7軒の二階家があります。
決して重要文化財ではありませんが、神田の神田らしさを残している風景をお楽しみください。
更科 香村宅 田中商店 増岡宅
神田錦町『更科』
築年、昭和40年代。
1階が店、2階が住居の昔ながらの建物。
『香村宅』
以前は1階で美容室を営んでいた名残りが広い間口にうかがえる。欄間のKAMURAが見どころ。
『田中商店』
最近はあまり見られなくなったタバコ屋的商店。看板建築の名残りがああちこちに見受けられる。
『増岡宅』
地元の鳶頭の住居。江戸っ子の粋、鯔背。私たちが大事にしなければいけない物がここに・・・。
内藤医院 運道具屋 倉庫
『内藤医院』
1階が医院、2階が住居。玄関の赤いランプが訪ねる人の心を暖めてくれる。 
『うんどうぐ屋』
代々商店として引き継がれてきた店。特長は間口に比べて奥行きが深い、俗にいう「ウナギの寝床」的な建物である。
現在『倉庫』
かつては印刷工場で、2階は職人さんの住居であった。2枚のシャッターがその面影を残している。




以上が、当町会に現存する(2004.1月現在)2階建てファイリングです。もし実物を見に来られた場合でも住民が生活している建物ばかりです。住民の迷惑にならない様に観賞してくださるようお願いいたします。


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