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町会ガイド

錦二



 江戸時代は御馬などと、二番火除地と武家地であったが、
 明治初期に「錦町」となり、「旧錦町二丁目、旧錦町三丁目東一部」が
 昭和10年に「錦町二丁目」となった。

 現在の錦町二丁目南側奇数番地に相当する所には学習院、
 高等商業学校(一橋大学の前身)などがあって、
 往時は新文化教育の中心地の観があった。

 町内二番地に安置されている『豊川稲荷社』は町内の守護神として、
 豊珠講と町会が協力して祀っている。

 「錦町二丁目町会」としては、昭和二十九年二月に発足した。





            





《 町会総会時の記念写真 》




豊川稲荷社
神田錦町二丁目2番地
東京電気大学の後側の
路地の突き当たりに鎮座。







錦町二丁目町会のあゆみ
伊藤哲治(第五代町会長)
戦前は、錦町々会と云う大きな組織の下に、一之部から八之部まであり、各部毎に活発な活動をしていました。

現二丁目は三之部と八之部に当たります。戦時中は統制のため錦町二、三丁目町会と改組され、防空演習など行っていましたが、昭和19年11月29日、帝都初の大空襲で町の大半が焼土と化しました。戦後はGHQの指令により、町会と隣組も解散させられましたが、町の復興とともに疎開先より人々も戻り、町会設立を望む声が大きくなってきたのです。その結果昭和29年2月9日、錦町2ノ2豊川倶楽部において発起人会が開かれ、錦町二丁目町会が力強く発足し、初代町会長には伊藤集氏が選任されました。以後4人の町会長を経て、平成6年4月に現在の第七代町会長、小山忠雄氏が就任しています。

町会員の出資により昭和23年に衛生会として木造二階建の町会事務所を建設し、昭和35年に国有地の土地を購入しました。町会旗は昭和35年に、小神輿は昭和32年に、また大神輿は昭和35年に購入し、各々神田明神にて入魂式を挙げています。

また、簡易保険の集金代行として昭和47年に錦保会を発足し、表彰を受けるほどに参加者が増え、町会運営上大きな財源となっています。

町会に安置されている豊川稲荷社は豊珠講と町会が協力して信仰活動を行っています。さらに現状を鑑み、平成9年6月には神田錦町二丁目町会として法人化しました。

今後も在住町会員と企業会員がより親睦を深め、明るく楽しい町会を目指します。







東京電気大学 7号館
東京電気大学 本館


東京電機大学物語
本学の教育の原点「技術は人なり」
神田錦町を代表する最高学府、東京電機大学は昭和24年(1949)に誕生、「技術立国日本を支える科学技術者の育成」を目的に、電気工学科・電気通信工学科の2学科でスタートした。同年5月21日には第一校舎(現神田キャンパス本館)講堂において開学式が挙行され、初代学長には丹羽保次郎が就任した。

丹羽は明治26年三重県に生まれ、東京帝大卒、逓信省電気試験所、日本電気株式会社を経て本学初代学長に就任、昭和3年には世界に先駆けNE式写真電送装置による無線写真電送に成功し、ファックスの生みの親として日本の十大発明家にも数えられ、今日の情報化社会の基礎を作りあげた人物として昭和34年に文化勲章を受章した。彼の「技術は人なり」の名言は、本学の教育の原点、教育・研究の理念として今日まで綿々と受け継がれている。

また昭和52年には、わが国および世界の電気通信技術に大きく貢献した丹羽の業績を讃え、優秀な科学技術者の育成を図り、科学技術の振興に寄与することを目的に丹羽記念会が発足し、丹羽記念賞の授与、海外研修生の援助、丹羽保次郎賞の授与という3つの意義深い事業を毎年続けている。


          




平成15年の神田祭
神酒所にてお祝の鏡開き
高張提灯を掲げて鳳攣をお出迎え
電気大学のおとなりは神田の安全の要
『神田警察署』


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