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「内神田美土代町会」由来
江戸時代は武家地と町人地で、勘定奉行宅等旗本御家人の武家屋敷と三河町三丁目裏町、同四丁目裏町、四軒町などの町があった。元禄の頃(1688〜)には柳沢吉保の屋敷もあったが、享保の頃(1716〜)以降は細かく分割された。
明治維新後、勘定奉行宅は一時薩摩島津家の屋敷になったが明治2年(1869)麻布永坂町、同東今井町、神田竹町、元鮫か橋北横町の代地となり、町名を新三河町とした。
明治5年(1872)町名を美土代町一丁目に改め、武家地を同二・四丁目、元々の町人地を同三丁目とした。
町名は「神田」を訓読みすると「みとしろ」にあるため「美土代町」としたと言われている。昭和10年(1935)区画整理により、一円を「美土代町」とした。
※写真は「神田祭」で活躍する美土代町の大神輿
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