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町会ガイド





「神田橋町会」マップ案内とその周辺環境
 「神田橋町会」は文字通り一棟のアパートとそこに住む住民で構成されたほかに類を見ない珍しい町会です。 所在地は南北をお茶の水の聖橋から三田に至る外堀通り、それを横切る形で東西を八重洲から一ツ橋に通じる内堀通りの交わる神田橋の交差点に面した所が神田橋町会です。
地下1階、地上14階の建物は、90世帯、188人が住むと同時に同じ棟には区民集会場にもなっています。正面玄関は内堀通りに面していますが、各部屋の殆どは西向きになっています。上層階からは竹橋方面、一ツ橋、神保町のビル群が見渡せます。また、眼下を走る首都高速道路の景観も都会ならではの風景ですが、そこから発生する騒音や排気ガスは住民の悩みの種の一つであるのも実情です。
 建物の周囲には結構緑も多くつつじ、さつき、ハナミズキと四季折々の草花を楽しむことも出来ます。道路を隔てた所に公園もありそこには真冬でも寒桜が咲き誇っています。アパートのわきを流れる日本橋川を渡れば生活の匂いなど全く無い大手町のビル群です。
 その意味では人の住めるぎりぎりの線上に居ると言ってもいいと思っています。
内神田住宅町会改め「神田橋町会」と改名したのは、平成16年8月のことでした。

その経緯は今までの町会名はあまりにもストレートな感じで
町会名としての情緒に乏しいのではとの想いが住民の間で取り沙汰されていました。

そうした折りに千代田区役所の区民総務課の方から町名由来の掲示板の設置の話があり
その機会を捉えて住民によるアンケート調査をしたところ
多数の賛同を得て神田橋町会と改名することになりました。

神田橋は将軍の上野寛永寺参詣の折りに通過する重要な地点とともに
江戸のインフラの整備に伴う土木建築資材の流通の要でもあったのです。
また、そこを流れる日本橋川は軍事的にも城を守るための役割を担っていました。
極端に曲げられた流れは船から城への侵入を阻むものです。
町会名を変えるにあたっても、そうした歴史的意義を考察することによって
町民の土地に対する愛着も増すのではないかと期待しています。
本当に微力ではありますが、地域住民の方々と協力する意味でも土地柄を表す町会名を名乗った訳です。

此処に来て神田公園地区の中にもマンション・ラッシュとも思える現象が出現しています。
ともすると集合住宅に住む人は住宅内の人々との交流も途絶えがちなのが現状です。
まして近隣の町会などとのコミュニケーションなどは全くと言っていい程、関心を示さないでしょう。
集合住宅と云えども地域に貢献できる規範を築いて行きたいと考えています。




内神田住宅全景 神 田 橋
住宅
神田橋


物揚場跡 歴史的考察
物揚場跡
 そもそも江戸と言う言葉が文献上に記載されたのは「吾妻鏡」に源頼朝が現在の千葉県の市川市周辺を支配していた平家側の武将の江戸重長の領地に攻め込んだと言う記述が歴史上の江戸のデビューであると言われています。その他に鎌倉五山の一つである円覚寺の所領目録の中に今の大手町、丸の内、日比谷から有楽町、銀座一帯を江戸郷内前嶋と言う地名で記載されています。江戸が一躍脚光を浴びたのは何と言っても1457年に太田道灌が前記した江戸重長の子孫を滅ぼして今の皇居に江戸城を築いたことでした。その後、1603年に徳川家康による江戸幕府から明治維新に至る歴史的経緯はそれぞれの町会で述べているので重複を避ける意味で割愛することにします。
 それでも当町会として触れずに済ませられないのが住宅の裾を流れる日本橋川の存在です。日本橋川は、当時日比谷が湿地帯であったのを干拓しその排水路として建設されました。それと同時に江戸城の建築資材の運搬にも活用されました。その証としてアパートの前に「物揚場跡」の石碑が置かれています。江戸時代末期の古地図には「かしふねあり」と言った記載までされていました。こうした具合にこの辺りは物資の集積所で空き地であった訳です。その状態は戦後まで続いていました。それと共に川に架かる神田橋は将軍が上野寛永寺に参詣に行くと通り道でもあって警備上の関係からも余分な建造物を排除したのではないかと想像されます。
町会の成り立ち。そして展望と課題 内神田住宅からの夜景(高速道路)
 昭和41年までは現在の所在地名は美土代町でした。その後、内神田となって区営の住宅が建てられることになります。
昭和58年に住宅の入居がはじまります。そして、61年には住民による自治会が結成されます。その時期、問題になったのが住民がどの町会に帰属するかが取り沙汰されました。そこで自治会は近隣の町会とさらに千代田区を加えて相談の結果、平成5年10月1日に正式に内神田住宅町会として発足することになりました。
 街の再開発に伴い千代田区は如何しても集合住宅化は避けられないことでしょう。従来の街並みに単数で引越しする人はやがてその町に溶け込み馴染むことが出来るでしょうが、集合住宅は、突然、ビルが建ち大挙して異質の人々が住む様になるのですから、それだけで従来の町の戸惑いや反発があることは予想されます。それでも区営住宅の場合は原則、千代田区の住民ですから問題も少なからず軽減されています。しかし、民間のマンションとなるとそう簡単にことは運びません。コミュニティーの再構築の論議が問われそうです。次回からはシリーズとして、その問題を記載することにします。
夜景


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