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町会ガイド

鎌倉



町会の地域:内神田1丁目・2丁目.3丁目の大手町に隣接した地域

 皆様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
連合町会ホームページ開設にあたり、一言ごあいさつ申し上げます。わたくしども『内神田鎌倉町会』は、町会地域に共に暮らし、共に仕事をする個人、法人の会員により構成し、お互いが地域の人々との関わりを持つことにより、円満円滑な暮らしや事業が出来るよう努力をしている任意友好団体です。鎌倉町会は、千代田区をはじめ警察、消防等の行政機関や近隣町会との連携により、地域の暮らしの問題を“奉仕と協力の精神”で解決するよう努力しています。また神田祭にも、由緒ある町会として積極的に参加しています。
 地域活動に積極的に参加される町会員各位と、このページを訪問して頂いた「我が町と何らかのご縁のある方々」のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
                           内神田鎌倉町会 会長 米山耕右


町会50周年記念植樹の桜
(鎌倉児童遊園)
鎌倉町の歴史
 江戸開府に先立つこと13年前の天正18年(1590)に、豊臣秀吉の命により徳川家康は関東240万石の領主として江戸城に入りました。当時の城は、室町時代の武将太田道灌が築いた城塞を後北条氏が整備しただけの粗末なものでした。関ヶ原の戦いを経て慶長8年(1603)に征夷大将軍になった家康は、江戸に幕府を開き、町の整備と合わせて以後三代にわたる城の普請を行いました。家康入城の頃から、この付近の河岸には多くの材木石材が相模の国(現在の神奈川県)から運び込まれ、鎌倉から来た材木商たちが築城に使う建築部材を取り仕切っていました。そのため荷揚場が「鎌倉河岸」と呼ばれ、それに隣接する町が「鎌倉町」と名付けられたと言います。我が町は江戸最古町の一つで慶長10年には既に起立していたと言われ、明暦3年(1657)の『新添江戸の図』には、すでに「かまくら丁」の名が記載されています。 江戸築城に際して、家康が近江から連れてきた甲良家は鎌倉町内に宅地を与えられ、以後官軍がやって来るまで代々この地に住み続けたと伝えられています。甲良家は、作事方の大棟梁として腕をふるい、江戸城をはじめ増上寺、日光東照宮などの幕府関連施設の建設に力を尽くしました。
 鎌倉町は、大江戸八百八町の中でも、ひときわ江戸城との関わりが深い町だったのです。



御宿稲荷 浦安稲荷
御宿稲荷神社
内神田一丁目の尾嶋公園前に『御宿稲荷』があります。小田原北条攻めの陣中で、豊臣秀吉から関東への国換えを命ぜられた家康公は直ちに新領国の視察を行い、この地の有力者の家にお宿をとったことにより、この家の庭の祠を人々がお宿稲荷として信仰し、後に家康公の足跡を記念して幕府より社地を寄進されました。
浦安稲荷神社
往古この一帯は日比谷入り江の最奥に位置し、潮入の葦原であり平川が江戸湾へ流れ込んでいました。このあたりで漁業を営む人々が篤い信仰を寄せていた『浦安稲荷神社』もかつてはこの町にありました。この祠は天保14年(1843)遷座され、現在は神田明神の境内にあります。
出世不同尊 体育館
出世不動尊
平安時代の僧、智証大師の作と伝えられ、一橋徳川家の表鬼門除けとして祀られていたといわれます。明治以後は神田松下町(現鎌倉町の一部)の有志により守護され、現在は出世不動尊奉賛会がお守りをしています。
千代田区立スポーツセンター
かつての資材荷揚場であった鎌倉河岸、神龍小学校跡地に建つのは千代田区立スポーツセンターです。
区民のスポーツレクリエーションのための総合施設です。

内神田鎌倉町の町なみ



ねこ 千代田ニャンとなる会
TEL03-3256-0008/FAX03-3256-3843 会長 栗原 環
「ちよだニャンとなる会」は、平成13年度から始まった「千代田区飼い主のいない猫の去勢・不妊手術費助成事業」を普及する区民と在勤者で構成されるボランティア・グループで、本部は町内にあります。千代田区でもホームレス猫はもはや見過ごすことの出来ない問題となっていますが、「命を大切にする」という観点から、そして地域環境と公衆衛生を守る為の活動を区保険所と連携して行っています。ホームレス猫の去勢・不妊手術と子猫達の里親募集にご支援とご理解をお願いします。


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